他人のながら歩きを見て気づいた、自分が感情から逃げていたということ
9月8日
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朝の駅。
歩きながらスマホを見てる人たちの間を抜けていく。
みんな下を向いてる。
SNSを追ってる指もあれば、天気予報を見てる指もある。乗換案内を眺めてる奴もいる。
役に立つことを調べてる人も、案外多い。
でも、見ていて思う。あれは情報が欲しいんじゃないんじゃないか。指を止めたくないだけなんじゃないか。
SNSに飽きる瞬間って、来る。それでも下を向いたまま、今度は天気予報を開く。
もう何度も見た今日明日の天気を、また見る。
SNSほど後ろめたくないから、逃げてる感じもしない。
俺にはそう見えた。ただ、そう見えただけだ。あの人が本当に逃げてるかなんて、わからない。
わかるのは、俺も同じことをしてるってことだ。
一人でいると、内側から何かが湧いてくる。それを無視して、スマホを手に取る。外から何かを得ようとする。
というより、何かから逃げようとする。
でも、外をどれだけ探しても、無い。あるはずだと期待して探すのに、無い。答えは、外にはなかった。
本当は、わかってる。
扉の向こうに在ることは、わかってる。でも、開けなかった。
スマホに手を伸ばすのをやめて、繰り返し気づく。扉の向こうに在ることを。
他人のながら歩きを見て、蓋をしている自分が見えた
答えは内から湧くものなのに、外にあると思って必死だった
内側に在るとわかっているだけで、扉を開けていなかった




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