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罵倒されて気づいた、他人の評価で動いていたということ
事業がうまくいってない。税理士にも見放された。この話は前に書いた通りだ。 だから副業で、2年前から清掃のバイトを始めた。50代半ば。いくら人手不足の時代でも、この歳の未経験なんて、なかなか雇ってもらえない。だから「未経験者歓迎」の現場を選んだ。 人手不足で会社が困ってるから、未経験でも歓迎される。でも、現場の人間にとって、何も知らない未経験者ほど、使いづらいものはない。だから、現場では全く歓迎されていなかった。俺にイライラしているのが分かる。 「未経験か?困るんだよな」 「邪魔だ‼︎」 「そうじゃねえよ‼︎」 「あっち行ってろ‼︎」 この時の無力感は、本物だった。小さい頃にクラスメイトから無視されていた時のことを思い出した。その場に存在することが許されないような扱い。何もせず帰った方がマシなんじゃないか、本気でそう思った。でも、そういうわけにもいかない。 相手の望むことを探して先取りして動いたつもりが、「そうじゃない‼︎」と否定される。 じゃあ勝手なことはやめようと、指示を仰ごうとタイミングを探していたら、「ボーッと突っ立ってんじゃない‼︎」と怒
8月27日


新潟で感じて気づいた、用意されてたわけじゃないということ
先週の8/12、東京から新潟に行ってきた。 台風が近づいてて、お盆の関東はどこも雨予報。新潟は晴れだった。だから新潟にした。それだけの理由。 目的は「感じる」こと。これだけ。 たとえば海。今までの俺にとって海水浴場って、正直、海そのものを見る場所じゃなかった。何か始まるんじゃないか、誰かと出会うんじゃないか、そういう下心で見てた場所。そうじゃなくて、ただ海を、海として心で眺めてみる。今回はそれをやりに行った。 というのも、俺には昔からの癖がある。思った通りに動けても、その場で心ここに在らずになる。目の前のことを味わう前に、頭がもう次のことを考えてる。他のことを考えてる。せっかく来たのに、来た場所にいない。ずっとそんな感じだった。 で、新潟。 最初に行ったのは野積海水浴場。ハイシーズンなのに、着いたのが早かったからか、誰もいなかった。その海を、ただ眺めた。雑念がゼロになったとは言わない。でも、久しぶりに心から「嬉しい」と思った。ただ海を見て嬉しい。それだけのことが、俺にはずっとできてなかった。 次に弥彦山の山頂近く。パラグライダーをやる広場があって
8月18日


四国遍路を思い出して気づいた、すでに教えがあったということ。
三十代の時に、四国お遍路を歩いたことがある。 弟を亡くして、供養のために始めた巡礼だった。 88か所の霊場を巡りながら、空海が開いたとされる道を、自分の足でたどった。何かを求めていたのか、ただやってみたかっただけなのか、その時は自分でもよくわからなかった。 歩いている途中、弟のことは正直あまり考えなくなっていた。 それは、あの時助けられたのではないかと強く後悔していたし、今思うと恥ずかしいが、事件性がないのに犯人を探すようなこともしていた。 でも、次第に弟を助けられなかった兄であることを認めたくなかっただけだと気づいた。そして、何もできない自分を受け入れた。 弟はそんな俺のことはお見通しで、「やっと気づいたか!」と言われたようだった、それからは不思議と、弟のことは考えることが少なくなっていった。 それからは、区切り打ちでやっていたので、日常と遍路の2つの現実を同時に生きていたようで、歩いている自分が本当の自分で、そのために働くもう一人の自分がいる——そんな感覚が湧いてきた。 ここには答えはないが、日常で関わる人や出来事が、現実ではないような感覚だ
8月6日


イライラして気づいた、相手は自分の鏡だということ
一緒に飲みに行く相手がいる。同性の年上だ。 シェアしながら食べる料理が出てくると、そいつがほとんど食べてしまう。気遣いのかけらもない。毎回、イライラする。 俺は小さい頃からいい人でいなければ、と思って生きてきた節がある。だから自分の中にある非常識な部分には、自分で蓋をしてた。見えていなかった。 でもある日、気づいてしまった。 もちろん相手はいない、一人でカウンターで飲んでいるときのことだった。 俺はチョコが好きで、特にウイスキーを飲んでいるときは、チョコが出てくると何度も何度もお代わりする。 「俺もやないかい!!」 相手の気遣いのなさにイライラしていたくせに、自分も好きなものの前では我を忘れて似たようなことをやっていた。いい人でいようとして蓋があったから、自分のその部分が見えていなかった。でも、そのイライラする相手が、気づかせてくれた。 相手は自分の鏡だ、とよく言う。 誰かの言動にイライラするとき、悲しくなるとき、不安になるとき。その感情の裏には、自分の中にある認めたくない部分が隠れいることが多い。いい人でいなければ、という縛りが強いほど、その部
7月16日


願いが叶って気づいた、在り方があるかないか
思い返してみると、願ったことは、叶っていることが実は多い。 若い頃、将来は社長になりたい。そう漠然と思っていた。 数十年後、なった。 なってみて分かったのは、肩書きが手に入っても、それだけでは何も保証されないということだった。気づいたらお金を失っていた。仲間も離れていった。さらに税理士まで離れていった。 大変だった、なんて言葉じゃ収まらない。漠然と「なりたい」と願っていたあの頃、こんな現実が待っているとは思わなかった。在り方がないまま、ただ願っていただけだった。 一方で、自分にはもう一つのパターンがあった。 当時、印刷の製版をやっていた。集版やレタッチと呼ばれる、アナログの仕事だ。そこにDTPというデジタル化の波が来て、このままでは仕事が置き換わるという危機感があった。そして、漠然と思っていた「社長になりたい」は、忘れていた。 その危機感を、不安のまま終わらせなかった。興味に変えて、Macを買った。 ただ、学んだのは基本的な操作レベルだった。高くてメモリーを増設できなかったので、当時のAdobeのソフトはまともに動かず、深くまで学べなかった。転職
7月4日


無敵になって気づいた、意図して生きるということ
初代バイオハザードに、無限ロケットランチャーという裏要素があった。 ゲームを3時間以内にクリアすると、弾数無制限のロケットランチャーが手に入る。 ただ、その条件を満たすまでに、何度も何度も同じゲームをやり直した。タイムアタックだから当然だ。気づいたら、敵の出現位置もアイテムの場所も、ストーリーの展開も、全部頭に入っていた。 現実そっちのけで夢中になれるくらい、よくできたゲームだったと思う。だからこそ、何度も繰り返した。 いざ条件を満たして、無限ロケットランチャーを手にした。これで無敵だ、と思ったら——期待していたような満足感が、まったくなかった。 むしろ、退屈で仕方なかった。 全部知っていて、何にも負けない。怖さも驚きもない。最強の武器を持って、最強の状態で、何も起きない。あれだけ欲しかった「無敵」が、こんなに味気ないものだとは思わなかった。 俺たちは普段、「あれがあれば」「これがあれば」と思って生きている。 あの資格があれば。お金があれば。身長が高ければ。今、無いものさえ手に入れば、自分はもっと満たされるはずだと思い込んでいる。...
6月28日


はじめに
人生は、いいと思うことも、つらいと思うこともある。 全ていいと思う人生を歩んだ人がいるのなら、どうかしているとしか思えない。 じゃあ、このどうしようもなく波のある人生を、どうやって生きていくか。 俺が行き着いた答えは、ものすごくシンプル。 成り切って、感じ切って、行動する。 これだけでいい。このシンプルな生き方が、「幸せ」なのではないかと本気で思い始めている。 「成り切る」とは、在り方のこと。 「〜になりたい」というフワッとした願いではない。願いの裏には「今はそうじゃない」という欠乏感があるから、すぐに他人の目を気にしてブレてしまう。 そうではなくて、「俺はこう生きる」と決めること。 願いではなく、自分の人生の主人公としての「意図」を持つこと。 「感じ切る」とは、自分を認めること。 生きていれば、見たくない感情も湧く。俺たちは無意識にそれに蓋をして、綺麗なフリをしようとする。 でも、潜在意識に押し込めた感情は、何かのタイミングで「ふたするな!」と暴れ出す。 その時は、力ずくで抑え込むのをやめる。思い切って蓋を開け、痛いなら痛いまま全身で感じきって
6月16日
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