新潟で感じて気づいた、用意されてたわけじゃないということ
更新日:9月4日

先週の8/12、東京から新潟に行ってきた。
台風が近づいてて、お盆の関東はどこも雨予報。新潟は晴れだった。だから新潟にした。それだけの理由。
目的は「感じる」こと。これだけ。
たとえば海。今までの俺にとって海水浴場って、正直、海そのものを見る場所じゃなかった。何か始まるんじゃないか、誰かと出会うんじゃないか、そういう下心で見てた場所。そうじゃなくて、ただ海を、海として心で眺めてみる。今回はそれをやりに行った。
というのも、俺には昔からの癖がある。思った通りに動けても、その場で心ここに在らずになる。目の前のことを味わう前に、頭がもう次のことを考えてる。他のことを考えてる。せっかく来たのに、来た場所にいない。ずっとそんな感じだった。
で、新潟。
最初に行ったのは野積海水浴場。ハイシーズンなのに、着いたのが早かったからか、誰もいなかった。その海を、ただ眺めた。雑念がゼロになったとは言わない。でも、久しぶりに心から「嬉しい」と思った。ただ海を見て嬉しい。それだけのことが、俺にはずっとできてなかった。
次に弥彦山の山頂近く。パラグライダーをやる広場があって、ここも誰もいなかった。左を見れば能登半島、右を見れば佐渡島。日本って思ったより小さいなと思った。でも、海と空と、そこに少しだけ浮かぶ雲は、どこまでも広かった。
弥彦神社にも参拝した。背後にはさっき登った弥彦山。壮大で、神々しかった。参拝の列は短くて、すぐ自分の番が来た。手を合わせて、ふと後ろを振り返ったら、長蛇の列になってた。
昼は道の駅でへぎ蕎麦。道中、新潟といえばタレカツだよなって話になって、食べたいなと思ってたら、メニューに「へぎそばタレカツ丼セット」があった。もちろん食べた。店を出たら、また長蛇の列。
海も、山頂も、神社も、蕎麦も、受け取ったものは全部違う。広い景色だったり、静けさだったり、神々しさだったり、食いたかったものだったり。でも共通してたのは、俺が受け取ったあとに混む、っていうこと。誰もいないか、混む前か。全部、先に受け取れてた。
正直、ここまで順調だと、なんか用意されてたように思えてくる。
ただ、そのあと酒造の見学に行ったら、Googleマップは営業中になってたのに、普通に休みだった。運転中だから酒は飲まないけど、「買うのもやめとけ」って言われてる気がして、なんか笑ってしまった。全部が全部、思い通りに整ってたわけじゃない。
で、思ったんだ。用意されてたわけじゃないな、と。
外側の何かが、俺のために整えてくれてたわけじゃない。海も、景色も、空いてた時間も、あの蕎麦も、全部もともとそこに在った。ただ俺が、いつもは受け取れてなかっただけ。心ここに在らずで、次のこと考えて、通り過ぎてただけ。
今回は「感じる」って決めて、意図して早く家を出て、雑念をなるべく外した。それだけで、もともと在ったものを、混む前に、静かなうちに、やっと受け取れた。順調に見えたのは、外が整ってたからじゃない。受け取れる自分でいられたからだ。
心ここに在らずから、「感じる」と決めた
用意されていたのではなく、もともとそこに在った
雑念を外すと、受け取れる




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