無敵になって気づいた、意図して生きるということ
- 6月28日
- 読了時間: 2分

初代バイオハザードに、無限ロケットランチャーという裏要素があった。 ゲームを3時間以内にクリアすると、弾数無制限のロケットランチャーが手に入る。
ただ、その条件を満たすまでに、何度も何度も同じゲームをやり直した。タイムアタックだから当然だ。気づいたら、敵の出現位置もアイテムの場所も、ストーリーの展開も、全部頭に入っていた。
現実そっちのけで夢中になれるくらい、よくできたゲームだったと思う。だからこそ、何度も繰り返した。
いざ条件を満たして、無限ロケットランチャーを手にした。これで無敵だ、と思ったら——期待していたような満足感が、まったくなかった。
むしろ、退屈で仕方なかった。
全部知っていて、何にも負けない。怖さも驚きもない。最強の武器を持って、最強の状態で、何も起きない。あれだけ欲しかった「無敵」が、こんなに味気ないものだとは思わなかった。
俺たちは普段、「あれがあれば」「これがあれば」と思って生きている。
あの資格があれば。お金があれば。身長が高ければ。今、無いものさえ手に入れば、自分はもっと満たされるはずだと思い込んでいる。
でも、無限ロケットランチャーがそうだったように、あったらあったで、それはそれで退屈なのかもしれない。欠乏感の裏にある「あれば変わる」という期待は、案外、当てが外れる。
じゃあ、あのゲームで一番楽しかったのは何だったのか。
振り返ると、無敵になった瞬間じゃない。何も知らずに、ビクビクしながら廊下を歩いていた頃。ゾンビが出てくるかもわからず、弾も足りず、必死で攻略法を探っていた頃。
画面の中の世界に、本気で入り込んでいた。その「夢中になれていた時間」自体が、一番の報酬だったんだと思う。
無いことを嘆くより、無いことのなかで、今、自分が何を感じているか。
廊下の先に何があるかわからないまま、ビクビクしながら一歩を踏み出していた、あの感覚。今思えば、欲しかったのはロケットランチャーじゃなくて、それだったのかもしれない。
何かが足りないと感じると、つい「あればこの感覚は消える」と思い込む。でも、本当はそうじゃない。願いではなく、意図して生きる。そのほうが、よほど自分を満たしてくれる気がしている。
・無敵になっても、満足感はなかった
・楽しかったのは、夢中になっていたこと自体
・無いことを埋めるのではなく、意図して生きるほうが満たされる




コメント