イライラして気づいた、相手は自分の鏡だということ
- 7月16日
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一緒に飲みに行く相手がいる。同性の年上だ。
シェアしながら食べる料理が出てくると、そいつがほとんど食べてしまう。気遣いのかけらもない。毎回、イライラする。
俺は小さい頃からいい人でいなければ、と思って生きてきた節がある。だから自分の中にある非常識な部分には、自分で蓋をしてた。見えていなかった。
でもある日、気づいてしまった。 もちろん相手はいない、一人でカウンターで飲んでいるときのことだった。 俺はチョコが好きで、特にウイスキーを飲んでいるときは、チョコが出てくると何度も何度もお代わりする。
「俺もやないかい!!」
相手の気遣いのなさにイライラしていたくせに、自分も好きなものの前では我を忘れて似たようなことをやっていた。いい人でいようとして蓋があったから、自分のその部分が見えていなかった。でも、そのイライラする相手が、気づかせてくれた。
相手は自分の鏡だ、とよく言う。
誰かの言動にイライラするとき、悲しくなるとき、不安になるとき。その感情の裏には、自分の中にある認めたくない部分が隠れいることが多い。いい人でいなければ、という縛りが強いほど、その部分への蓋も厚くなる。
だから相手を見てイライラする。 蓋をした自分を、相手が映し出してくれているからだ。イライラしたまま、その感情から逃げずにいた。そうしたら、自分の中にも、同じものがあると、冷静に気づけた。 認めると、楽になった。
今でもその相手にはイライラする。一度競って同じペースで食べたが、アホらしくなったのでやめた。今では、反面教師として見れる。感情はある。ただ、とらわれなくなった。
・相手の嫌な部分は、自分の中にもある
・いい人でいようとするほど、自分の非常識に盲目になる
・感情を感じきると、とらわれくなる




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